ミャンマーからの小学生

東京のNさんより 1999.10.16

教育問題に関する一文「教育の再建」、大変参考になりました。

先日、民放の番組でミャンマーの子供を2人日本に招くと言う企画をやっていました。この子供たちは大変貧しい農家の子達で、学校にいく機会に長い間、恵まれていないわけです。それでも周囲の支援で一応学校と呼ばれているところへ長い通学時間をかけて通ったりしているようなそんな子達です。

彼らが実際、日本にやって来て日本の小学生たちと交流するのですが、日本の子達は一様に、学校の授業がつまらない、勉強するのがいやだ、と言うのに対し、ミャンマーの子達は「こんな立派な施設と充実した教材に恵まれて毎日学校で勉強できる日本の子達が羨ましい。なんで、そんな中で学校がつまらない、勉強がいやだと言うのだろう?」と疑問を発します。

そうした場面を見るにつけ考えさせられました。人間ってしたくてもできないという状況に立たされて始めて、そのものを希求する心がつよくなるのではないかと。日本は豊かな国になりすぎたのではないのでしょうか? しかし、それでは貧しくなれば教育も立ち直るか、という単純な話でないところにこの問題の難しさがあるように思います。

僕は、偶然、本屋で新渡戸稲造の「武士道」という本を見つけ買いました。これからじっくり読んでみようと思っていますが、僕は常々思うに、国家と言うものは(なんて大上段に振り上げた物言いは照れますが)なにかコアになる一つの価値観がベースにあってしかるべきなのではないかと思います。人間なんていい加減で自分勝手な生き物であるだけに、なにかしらの自分自身を律する規範がどうしてもなくてはならんのではないでしょうか。イスラムの国にあってはそれはイスラムだろうし、我が国においては「武士道」であったのではなかったか。たとえ明治になって封建体制が崩壊し文明開化となっても、「武士道」がいまだ存在しておったればこそここまで日本はやってこれたのではないか。

もっとも、バブルが始まる数年前だったと記憶しますが、天下の興銀が大阪のなんとか言う料亭のおかみに大変な額の金を融資していて大問題になったことがありますね。どうも思うにあの頃から、日本人は理念だのなんだのより、金が儲かってなんぼ、という考え方にドップリと漬かり始めてきたのではないか、と思うんです。

無論、僕は昔ながらの古めかしい「武士道」を今の時代に復活せよ、なんて言う気は毛頭ありません。ですが、教育、産業、行政、あらゆる局面で眼にする無責任、自分勝手、精神的腐敗などを見るにつけいま少しかつての「武士道」に貫かれた美意識を現代の日本人、とりわけエリート層に属する人たちは意識するべきと考えます。よくひきあいに出される「ノブレス オブライジ」という言葉は中世ヨーロッパ、いや元を正せばローマ帝国の古にさかのぼるものと思いますが、今の日本のエリート層にそうした観念を有するものがどれほどいるのでしょうか。

竹村健一さんがいつも言われる「日本の常識は世界の非常識」とは名言です。なんでもかんでも世界の標準に合わせる必要はもとよりありませんが、それが人人の幸せにつながるのであれば、どんどん取り入れて変えていくべきだと思います。


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