随想 番組「ガンジー」をみて

2003年11月

奈蔵 功修(在 東京)

シヴィック・エクスペリエンス、久しぶりに拝見しました。いつものことながらとてもスッキリまとまっていて感じがよいサイトでサイト開設者の人柄が偲ばれます。(ホスト注:このサイトは、実はボランティアで協力してくれている山崎君という好青年が作ってくれ、メインテナンスも続けてくれています。奈蔵さんからのお褒めの言葉はは彼に行くべきものです。)

投稿も随分増えましたね。小生もまた投稿したくなりました。もっとも掲載に値する質の高いものが書ければ、というただし書きがつきますが。(ホストコメント:お気楽にご投稿ください。硬いものばかりでなくやわらかい随想なども増えていけばいいなあと思っていますから。)

昨夕、NHK「その時歴史が動いた」で「ガンジー」を見ました。暴力の連鎖が断ち切れずにお互いに苦しめ、苦しんでいる現代、ガンジーの理念をもう一度見つめ直す必要があるように感じられてなりません。21世紀、はたして第二のガンジーが現れるのでしょうか?ガンジーの後継者を世界は期待できるのだろうか?とかなりペシミスティックな感情を抱きつつ番組を見終えたことでした。

しかし、ガンジーの運動が実を結び独立を勝ち取ったまさにその時、宗教対立による混乱とガンジー自身が凶弾に倒れるという事実は、歴史のもつ皮肉、残酷さを示すに十分だったように思います。そうそう神様も人間にハッピーエンドは用意してくれないということなのでしょうか。

「宗教対立」ということで言うと、アレクサンドロス、カエサル、チンギス・ハーンなどなど大版図にまたがる帝国を築き上げた人々は実に宗教に寛容でしたね。逆な言い方をすれば、宗教、言語、文化の独自性に寛容であったがためにあれだけの多民族からなる帝国を維持していけた、ということなのでしょうが。

為政者が多宗教を認める、という政治上のテクニックが可能であった背景としては、昔は民族ごとに固まって居住していたのでしょうから、宗教が異なることでの問題はなかったのかもしれません。それが時代を経てゴチャゴチャに民族が混ざり合って暮らすようになって浮上して来た問題なのかもしれませんね。

現代の宗教対立は多分に経済対立がその裏にあったりするので一概に昔と比較することはできませんが、ガンジーの非暴力とカエサルの「寛容」がまた現代に復活して欲しいものです。

功修


目次